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1985年の「サリンジャー」 (『コンセプト・ノワール』創刊号、1989年)

 

 風が強く、青空に雲が踊っている。雲はどんどん形をかえている。太陽も一瞬のうちに出たり入ったりして、さっと影がさしたかと思うと、すぐに光がさし込んでくる。

 

 風の強いのは塵埃っぽいからいやだ、と思いながら、シュプレヒコールを挙げている。シュブレヒコールの内容は、貧困な思想とも言えたが、豊かな思想を見つけ出した奴の話も聞いたこともなければ、勿論、つくり出したエライ先生にお目にかかれもしなかった。

 

 いわば仕方ないのだ。赤子は言葉になる前に言葉を発する。学生が思想になる前にシュプレヒコー−ルを挙げて何が悪い。

 

 それにしても、今日は比較的温暖でばあるので、ふと風のおさまった瞬間には、なんともいえずウララカな心持ちになる。不毛なシュプレヒコールをあげていることが空しいといえば空しいのだが、帰るべき家がないかのように、デートすべき彼女が居るわけでもなく、根源的にはそのウサ晴らしとして、シュプレヒコールを挙げているのだということに、循環的に思い至った。存在するものは存在する。突ったってこうして現在何かしている。それ以上でも以下でもない。ここには夢も希望も無ければ頽廃も絶望も無い。ただなんとなく危険が無いからだけなのだ。

 

 誰が聞いても詰まらないシュプレヒコールを挙げて、流れ解散となり、街にまぎれ込む.別に、隊列にまぎれて、米ソ世界権力ヲ打倒セヨォ(打倒できたらいいな)、という無力なオダをあげているだけで、尾行してくれる程、重くみられることもなく、みられたらみられたで結構だ、ぐらいに特別の配慮もしない。1985年日本の、首都の繁華街で、比較的安めの食事をとって、そこに何時間もねばって、いろいろ仲間うちでお話をするのが、パターンである。

 

「E研(エンゲルス研究会)の連中はヒロマツを読んでヨシモトを卒業したつもりになってるけど、何が物象化からの解放だよ。コトがモノにみえようがどうしようが大きなお世話だよ。錯視を矯正するために革命しなきゃならん、なんて、眼鏡屋ファシズムかね。」

「でもさ、ヒロマツが七〇年代以後のマルクス主義を独りで支えてきた、という面もあるわけだし。」

 

「そんなもの支えてっからダメなんだよ。革命思想のマルクス主義なんて、エンゲルス、レーニン、スターリン主義、とは次元がちがうとしたって、やっぱり現在とは無縁じゃないか。経済学の古典としての価値しかないんだよ。」

 

「だったら、どうするっていうんだよ。」

 

「資本主義というか、ポスト資本主義というか、今のこの経済システムと、米ソ世界権力を根底から批判し切る思想性と科学性がない限リは、スターリニズム、いやマルクス主義とすら思想的に闘うことの方が世の為、人の為だっていうことじゃないの。」

 

「それじゃ、反共右翼や保守と違わないわけだ。」

 

「オレはホントはニューコンサバティヴの方が好きなんだよね。ヨシモトを読む迄は、つまリ大学二年の、ヒロマツやマルクス、エンゲルスしか読んでなかった頃は、ニューコンサバティヴとかニュー社民、構改路線のようなことしかないんじやないかと絶望的に考えてきた。でもそれはとても胸の悪いことだったから、ヨシモトの根底的な幻想権力批判の革命論の原則でのみ、新保守・社民・構改とは一線を画そうと思っているのだが、ヨシモトは根底的すぎてたえず虚無感に突き落とされる。そうそう、それでこないだこんな戯れ歌を思わず作っちゃったよ。

へーゲルを読まずと知れるへーゲルの気持ち切なしニューコンサバティヴ

面白き事もなき世を面白くこれがローズだこれで踊りゃれ」

 

 といった会話を、「オールナイト・フジ」の山崎美貴の唄う「サリンジャー」というBGMを聞きながらやっている。

 

「……だもの、ヨシモトだってコム・デ・ギャルソンとかいう御時世だし……」

 

 どうしても、感性や概念がヨシモトヘと収束してしまうことに、たえず焦っている。もっとなだらかな神経で新宿や渋谷や原宿をよぎりたい。

 

「そういえばこの『サリンジャー』って曲、よく聞いていると面白いね。サリンジャーの本を借りっ放しにして、彼との唯一のつながりになってる、ていう、そこはかとない学生時代の思い出をヒョーゲンしているワケだね。オレも見習って誰かにヨシモトの本でも貸そうかな。」

 

 誰にもヨシモトの本一冊貸せないままに、大学を卒業してしまったので、ふと、「サリンジャー」の曲が苦く耳に懐かしい、なんて事を四年後の1989年には思っているに遠いないという、敗北主義的予感がする。

 

 店を出ると、すでに太陽とネオンが入れ替わっている。相変わらず右へ行く男女、左へ行く男女が混み合っている。彼らは何処から来て何処へ往くんだろう。

 

「アメリカに行きたい。」

「オレはソープに行きたい。」

「オレは大学院に行きたいな。」

 

呟く声の主も街行く男女の中、紙袋の中にブラウン・メットを容れて国鉄の駅へ押し流されてゆくのに、

 

 桜見る人に聞きたし人心

 

という高杉晋作の句が胸に去来する、そういうお前も桜は見ていただろうに。

 

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